『視点の変化』 司祭 マセオ 奇 浩培(き ほべ)
2026/03/03
1札幌で二度目の冬を迎え、私自身の考え方がずいぶん変わったなと感じています。
1去年の二月の日記には、「雪がとてもきれいだ。あの雪景色は本当に美しい」と書いてありました。
1けれども、今年の二月の日記には、「雪が降りすぎだ。家に帰って車を止める前に除雪をしなければならなかった。もう雪は降らないでほしい」と書かれていたのです。
1考え方を変えることは容易ではありませんが、このように環境や状況が変われば、物事の見方も自ずと変わっていくのでしょう。そしてこれは、私たちの信仰生活における観点についても同じことが言えるのではないでしょうか。
1「信仰生活とは何か」という問いに対し、私なりの答えを記したことがあります。どこかで耳にした表現かもしれませんが、私はそれを**「心の中に神さまを宿して生きること」**だと感じています。私たちが「神の子」であるという姿を、最もよく表している言葉だと思うからです。
1しかし、時にはそれが難しく感じられることもあります。それは「どのように」という方法の問題です。聖書の言葉が常に何かを伝えているのは分かっていても、自分にはその意味がうまく届かず、難しく感じてしまうのです。
1こうした戸惑いの中にいる信徒のために、教会は「典礼暦」を通して新しい息吹を吹き込み続けています。毎年同じ日に祝うものもあれば、復活祭のように日付が変わるものもありますが、これらは単に同じ祈りを繰り返すためではなく、私たちがイエス様の足跡を共にたどるための大切な伝統です。
1では、洗礼を受けて神の子となった私たちの信仰生活はいかがでしょうか。イエス様の歩みを共に進みながら、信仰を深めているでしょうか。それとも、毎年同じ雪景色を見すぎて美しさを感じなくなってしまったように、今年もただ繰り返される「いつもと同じ典礼」になってはいないでしょうか。
1この視点の変化が良いものか悪いものかは分かりません。雪を美しいと感じた去年の私が「善」で、今年の私が「悪」なのでしょうか。そうではなく、同じ対象であっても、私自身が変化したということでしょう。
1そうです。私たちには神さまをより深く理解するための機会がまだ残されています。私たちの内におられる神さまは、生きておられる方です。アクセサリーのような飾りでも、止まっている存在でもありません。様々な姿で私たちがご自身を見出せるよう、招いてくださる方なのです。
「新しい歌を主に向かって歌え。全地よ、主に歌え」(詩編96・1)
1主に向かって新しい歌を捧げられるよう、今の自分なりの歩みを大切にしていきましょう。

