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主任司祭より

『社会が教会、小教区はその一部』        司祭 アンドレア 松村 繁彦 

2024/01/05


【あけましておめでとうございます。ちなみに年賀状のお返事は書きませんのでお許しください】

さて、昨年はどんな年でしたか。良かった悪かった、嬉しかった悲しかったといろいろとあったと思います。コヘレトの言葉に「何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。(3:1)」とあります。時を見極める感性を磨き、すべての時を“恵みにつながる”と捉え感謝の一年にできたらと願います。“愚痴”より“感謝”が一つでも多く発せられる1年にしていきましょう。その動きは信仰の成熟へとつながります。嘘だと思って努力しましょう。嘘じゃないけど。さらにこのことは個人単位ではなく、教会(エクレシア:神に呼び集められた者たち)として行っていけるよう協力し合いましょう。

新しい年を迎え、司教様による年頭書簡も出されました。司祭中心ではなく、司祭も含めたエクレシアとしてそれぞれの役割をシノドス性に従い進めていけたらとまさに願うばかりです。

まずは司教様の年頭書簡を熟読していただき、分かち合っていただきたい。個人で解釈をするのではなく、わからない問題、難しい問題にも共同体として取り組んでほしい。個人の感想だけでは意味がありません。分かち合って初めて価値を生む書簡です。

今年の書簡は特に教会の内部に焦点を当てて書かれていますが、忘れてはならないのはやはり昨年までに出された書簡を踏まえる事だと思いますし、司教様もそれを前提に書かれています。是非過去の書簡も振り返ってください。しかし今年の書簡だけを見ると、教会内部だけの内容に受け取られてしまいますので、あえて次の事を書かせていただきます。

現在司祭たちは教会の内部に向けて力を注ぐという視点ではなく、教会も含めたすべてに向けての視点を持っています。例を言えばきりがないので省略しますが、学校・医療・福祉・NPO・国際支援・バチカン・司教協議会の仕事を各々されています。札幌や北海道だけではなく、海外にまで赴きます。私たち司祭にとって教会司牧とは一小教区の話ではありません。この社会すべてを対象にしています。なぜならば教会外の課題こそ司牧者を要求しているからです。だからこそ自身の教会を守る役割は信徒の力を借りなければ、私たちの仕事を達成することはできません。今私たちは皆さんに寄りかかって生きています。日曜以外は外に赴くので休む暇はありません。もし司祭が増えても社会の中にある課題が増えてきている以上、司祭が一小教区へ関わる時間が増えることはありません。皆さんが望む今以上のサービスは不可能です。今が本来的な司祭の働きか?と時々問う方がおられますが、その投げかけ自体間違いです。愛情が自分以外に向くことも喜びとして欲しいものです。そうでなければ自分本位的発想で司祭を教会に縛り付けることになるからです。それはキリストの宣教を否定するあり方です。今の時代だからこそ、その時を見定め「出向く教会」の実践が必要なのです。教会内部で完結する話ではありません。地域すべてが教会なのです。昨年までの司教様の年頭書簡はそのことを語っています。

だからこそ、今年は「自分の事は自分でする」「司祭を頼らない」「共同体が一枚岩になる」ことを進めてまいりましょう。司祭はみな優しいのでこのようなことは誰も言わないのでしょう。でもこれが本音です。そのためにシノドスの目指す「交わり、参加、そして宣教」のモットーは大切。

危機感を募らせる司祭。今までと変わらないと信じる信徒。聖職者中心主義はもちろんトップダウンをしてきた過去の影響はありますが、同時に司祭からの指示を待つ信徒が作り上げたものでもあります。この問題にどのように乗り越えていきましょう。だからシノドスが必要なのです。コロナへの区切りもつきました。過去ではなく未来に向けて、今の現実から教会活動を創造していきましょう。皆さんにはそれだけの恵みが備わっています。だからまた1年一緒に頑張りましょう。

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