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主任司祭より

『キリスト信者の悩み』          司祭 ミカエル 森田 健児

2024/03/07


キリスト信者のひとつの悩みは自己評価の低いことではないでしょうか。それがない幸いな人もいるとは思いますが、自己否定感を持っている人は少なくないと思います。

理由のひとつは、誠実に生きようとする人は自分をよく見つめるからです。そして理想と現実の自分とのギャップをよく認識し、自分の罪や弱さを認識しています。

112つ目の理由は、キリストの教えを追い求める人は、より高い理想を求めているからです。行いやことばの罪だけではなく、心の中の罪さえも見つめます。今どきこんなことで悩む人がどれほどいるでしょうか。しかしキリストに従おうとする人はこのようなことでも悩むのです。

3つ目の理由は私たちが日本人だということです。日本人は自己肯定観が低いように思います。よくできていても、「自分はできていない」「自分は足りない」と思い、また社会からも低い自己評価を求められているように思います。

4つ目は、社会全体の信仰や道徳が低下し、冷たく厳しい社会になって愛が冷え、悪が横行すれば、その中に生きる私たちの心も冷えてしまいます。キリストのおっしゃるとおりに生きることは自分には大変難しいと感じるでしょう。人を愛するどころか、自分を守るのに必死になることさえあります。

このような自己否定感を持つと神に向かうときに後ろめたさを感じ、いっそうキリスト信者を苦しめることでしょう。

しかし一方、「自分自身を告発する人を神は弁護なさる」というような言葉もあります。自分を反省し、自分は罪人だと神に訴える人を、神は一緒になって責めたてるのではなく、むしろ弁護してくださるという意味です。

そういう人は神にとって安心できる人です。むしろ喜ばれるでしょう。そのような人は罪ではないものでさえ、自分の罪だと思うことも多々あるでしょう。それは誠実な人の特徴です。しかし苦しみ過ぎないように神は弁護してくださるに違いありません。

主はおっしゃってくださいます。あなたの弱さはあなただけのせいではない。苦しみ多く、心傷つけられることの多い環境に生まれ育つと心は荒れてしまう。そんな中で一生懸命生きようとすることこそ尊いことだ。そんな中で私の教えを行おうと努めるだけでも立派なことだ。多くの困難が伴う。ギャップを感じて当然ではないか。

自分の弱さに悲しみすぎず、自分を責めすぎず、私にゆだねなさい。自分を改めようと努め、一生懸命誠実に生きようとするならそれだけで十分ではないか。どの人にもその人なりの限界がある。環境的な限界もある。その限界を乗り越えさせるのは私です。神のいつくしみの力はこれからも多くの恵みをもたらすだろう。

恐ろしい苦しみの中にあって、弱い自分や暗い社会を見つめるのではなく、ただ私を見つめなさい。私はいつくしみ深くあなたを見つめる。圧倒的な悪の力の中にあって、私はいつくしみの全能の力を現すだろう。

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