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主任司祭より

『神のいつくしみ』        司祭 ミカエル 森田 健児

2023/06/02


6月は16日がイエスのみ心の祭日であることから、み心の月と呼ばれます。イエスの心の愛に思いをはせるようにと私たちを招きます。また近年「神のいつくしみの主日」(復活節第2主日)が制定されましたが、聖女ファウスティーナに対する神の啓示がもととなっているこの信心は、日本ではそれほど知られていないように見えます。

さて、「いつくしみの聖年」が始まるときに教皇フランシスコが書かれた勅書「イエス・キリスト、父のいつくしみのみ顔」(カトリック中央協議会)には大変印象的な言葉があります。それは、それまでの公文書では決して見られなかったような表現です。

「神のいつくしみは、私たちに対する神の責務なのです。神は責任を感じています。私たちの幸せを望み、私たちが幸福で、喜びと平和に満たされているのを見たいのです」(17ページ)。

長い間信者生活をしていて、こんな言葉を見たことがない、と多くの人が感じています。私たちが頑張れば、神が報いてくださる、という論調が多い中で、フランシスコの言葉は、「私たちが自分の救いを願うよりもはるかに強く、神は私たちの救いと幸せを願っておられる。しかも責任を感じておられる」というものです。見方によってはちょっと危険をはらむこの表現を、教皇はあえて書きました。

神は愛と喜びのうちにこの世界を作り、深いいつくしみのうちにご自分に似せて人をお創りになりました。神に作られた私たちが苦しみに打ちひしがれているのを見ることは、神には耐えられないことだと思います。私たちが「生きていることはすばらしい。世界はすばらしい。神を信じて生きることはすばらしく、イエス・キリストを知ることはさらにすばらしい」と感謝と喜びのうちに日々を送ることをどれほど神が願っておられることでしょうか。

私たち人間が、そして個々人が、神から深く愛されていることを実感することを神は望んでおられます。神から深く愛されていること知る人は、自分自身を肯定的に受け入れ、自分を愛することができます。自分を愛する人は「自分を愛するように人を愛する」ことができるようになります。ですから神は、この世に生きる人々が神から限りなく愛されていると実感できるようにと心から願い、この実感を願う人々の祈りを聞き入れたいと願っておられます。

この実感を願う祈りは決して無謀なものではなく、決して分不相応なものではなく、神が私たちに与えたいと熱望しておられる願いです。神のこの熱い熱望を知るならば、私たちはより平和な心で、これを祈り求めることができます。

教皇フランシスコのおっしゃる、神が私たちの幸せを望み、責任を感じておられる、という言葉は、私たちに対する神の熱い思いを確信させてくれます。そして私たちが大きな恵みを神に祈り求める勇気を与えてくれます。教皇はおっしゃいます。

「神に驚かせていただきましょう」(44ページ)。

「教会は一刻を争うほど緊急に神のいつくしみを告げる必要性があると強く感じています」(44ページ)。

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