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主任司祭より

『地主司教の思い出』       司祭 ミカエル 森田 健児 

2023/12/08


地主司教の晩年を同じ場所で過ごした者として、その思い出を書きたいと思います。思い出といってもいろいろありますが、特に「自分の弱さを見せてくれた地主司教」という点に絞りたいと思います。

優秀で、戦中戦後の厳しい時代を生き抜いてきた地主司教には誇るものがたくさんありました。そのような話を集めれば枚挙にいとまがありません。

しかしある日、神学校時代の思い出を語る中で、毎日50個のラテン語の単語を暗記しなければならなかったことをお話しになり、「もう泣いたよ」と言ったとき、そこにいた当時の勝谷神父と思わず顔を見合わせました。「地主司教が初めて人に泣き言を言った」という驚きでした。

またご自分の召命の話をよくなさり、ある年末に家で作った豚肉のハムを司教館に届けるように母親に言われ、当時の瀬野教区長に届けたときのことでした。教区長が書き物をしており、沈黙の時間が続き、それがどれほどの時間か分からないけれども地主少年(高校3年生)には20分ほどにも感じられて耐えられず、思わず「僕、司祭になります」と言ってしまった、というものです。この話は多くの司祭たちが耳にしたようです。

大学在学中に召命についてはゆっくり考えようと思っていたので、突然神学校に入ることになり、「だからそのあと神学校で悩んだんだ」と一度だけポロリと言ったことは、他の人たちにも話してきたのでしょうか。もちろんこのような形で与えられた召命をその後はしっかり受け止めたことと思います。「勝谷司教様、この叙階は有効でしょうか」と冗談でおどけて聞く場面が何度かありました。そのつど勝谷司教は、「それも聖霊の働きでしょう」と笑いながら答えていました。

さて米寿(88歳)のときに、司祭大会が北広島のホテルでおこなわれ、その中で地主司教の米寿が祝われました。金色のチャンチャンコが贈られ、その場で地主司教がそれを着て見せたことは意外なことだったのではないでしょうか。普段ならそんなことはしそうに思えないのです。そして司教はあいさつの中で「私みたいな人間がこんなにしていただけるとは」とお話しなりました。一瞬耳を疑うような言葉でした。

若い司祭たちに厳しく接してきた司教は、引退後について少々覚悟をしていたようです。しかし図らずも、教区司祭、宣教会司祭、修道会司祭たちに大いに祝ってもらい、ちゃんちゃんこを贈られ、これはまったく予期していなかったことのようでした。司教館に帰ってから、「食事の時にはちゃんちゃんこの服は着たが帽子はかぶらなかったがそれでよかったのだろうか」というようなことを私に聞いていました。普段はすべて自分で決めるお方でしたので、地主司教の戸惑いは私にとって新鮮なものでした。「図らずも皆に優しくされて、どうしてよいか分からず戸惑う」。それが私の印象でした。

どんな逆風にも負けない強い司教でしたので、反対に後輩の司祭たちに優しくされて、それに応えようと戸惑っておられる地主司教は私にとって一番の愛すべき思い出です。

その後、金のチャンチャンコを着た写真を全道の教会、修道会に送り、感謝の言葉を述べていたことはちょっとした話題になったようです。

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