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主任司祭より

『神が出会わせてくれた者』

2019/05/02 司祭 加藤 鐡男


 札幌教区は、大変嬉しいことに昨年に引き続き今年も司祭叙階式がありました。出身教会の人々や関りを持っていた大勢の人々が出席下さって、司祭叙階をお祝いして下さいました。聖堂の最前列に、昨年の助祭叙階式にも参列くださった私も顔見知りの方が、今年も座って祈ってくださっていました。東京カテドラル所属のその方は、亡くなられたお友達の代理として二回も来てくださったのです。帯広出身で信仰を通しての友人が、東京で今年叙階の司祭との関わりを持ち、心待ちにしていた助祭叙階式を前に帰天され、託されたその思いを胸に参列して下さっていました。

 私がその方と知り合ったのは十数年前、所沢教会の巡回教会である宮寺教会でした。百年前、被差別部落の中に建てられたその教会は今でも畳敷きで、皆 座布団を敷いてお座りをしてミサに与ります。祭壇は日本間にみられる卓袱台を使用していました。

 その方が、ミサに何度か来られているうちに、神学生である私に「実はプロテスタントあるいはカトリックのどちらの教会へ行こうか迷っています。」と打ち明けられました。私は、「あなたの居心地の良い方を選んだらどうですか。」と答えました。そのことがあってから一年後、東京カテドラルで偶然その方と再会し喜び合いました。そして、冒頭の叙階式での再再会へとつながっていったのです。

 聖書の中でイエスは「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。叩きなさい、そうすれば、開かれる。誰でも、求める者は受け、探す者は見つけ、叩く者には開かれる。」(マタイ七章七~八節)と私たちに呼び掛けておられます。私たちの人生の中では、いろいろなことがあります。時には、悩み、苦しみ、どうしていいのか分からない時もあります。そんな時に、自分の周りに話を聞いてくれる人がいることは、なんと素晴らしいことでしょうか。答えは得られなくともよいのです。話を聞いて、「あなたは、一人ではないのですよ。あなたの傍に私がいます。」と、心配してくれる人がいることが大事なのです。御父と御子は、いつも傍にいて愛に満ちた眼差しを注いでくださっています。私も、そんな一人になれればと願いつつも、時にはそのようになれない自分に、反省の繰り返しをしています。

 

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