ロゴ

主任司祭より

『クリスマスこそ闇を想う』      司祭 アンドレア 松村 繁彦

2022/12/03


正式なイエス・キリストの誕生日はわかっていません。1月6日のご公現は、三博士がイエスと対面した日と言われていますから、そこから逆算し、また併せて3月25日の受胎告知から鑑みて12月25日前後であると推測されたのが第一要因となりました。しかしでは何故25日に固定化されたのでしょう。そこには更に2つの要因によります。そしてその要因からも大切な意味を学ぶことができます。その要因の一つは異教の信仰からきているのです。

ちなみに380年にローマでキリスト教が国教化された後、392年に他の宗教が禁止されキリスト教だけが国教となったのです。このころには既に12月25日はイエス・キリストの誕生日にはなっていたようですが、まだクリスマスとしては祝われていなかったようです。

[2つの要因]

  • インド・イランを起源とするペルシャの太陽信仰ミトラ教から影響を受ける。
  • グレゴリオ暦の冬至による。

もっとも日照時間が少なく【闇】の多い日である冬至、太陽のように輝き心に【光】と熱を与える神が我々のもとに訪れることは、イザヤ書に描かれていることの実現でした。「闇に住む民は光を見た」(典礼聖歌305番)、「あなたの光は闇の中で輝き出で」(イザヤ58章10)と。十字架に掛かって死んだイエスは、人類に復活の出来事を示し新しい局面を与えました。死で全てが終わると信じていた人々が多い中、永遠のいのちを示し、復活を延べ伝えたイエス・キリストは、まさに私たちの【光】となったのでした。復活を祝う弟子たちにとって、その誕生も復活を引き起こした人であり神であるキリスト(救い主)を思い起こす大切な日となったのです。日時は定かでなくとも、同じ【闇】を抱える人々がキリストのように復活を望み、同じ思いで救い主の誕生を祝い、【闇】から立ち上がり【光】に向かって進むことを願い、また自分もそのように歩むのです。2つの要因はこのように、12月25日をイエス・キリストの誕生日にして、人類に大きな意味を持たせました。

哲学では【闇】は【光】の欠如と考えられています。【闇】に【光】が取り戻され、徐々に輝く方向に歩めば、誰しも【光】に到達できるのです。光はキリスト。クリスマス時に【闇】を想えば思うほど【光】のまばゆさに喜びを感じます。一人で向かうのではなく【闇】にいる人と共に【光】に向かうようにすることこそ、弟子たち(教会)の使命であり、【闇】を想いしっかりとそこに目を向ける事こそ、クリスマスの大切な過ごし方かもしれません。

教会の日々

月別アーカイブ



ページトップ
MENU