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主任司祭より

『掘り出し物』      司祭 加藤 鐡男

2019/08/01


住んでいる所のすぐ近くに中古屋がある。引っ越して間もない頃に、他の用事で近くを通って店の存在に気づき、新生活に足りない物を探しに入ったのが始まりだった。その時には、破格の値段だったので二段の総桐整理箪笥を買ってきた。それから十日に一遍くらいの間隔でこの店を覗きに行っている。

二階造りの広いフロア―には所狭しと色々な物が並んでいる。自分の趣味に適うものがあればとぐるぐる回っていると、一時間はあっという間に過ぎてしまうこともある。偉人像の鋳造品や木彫りのだるま、水彩額や版画額、陶製人形など、これまで七点ほどの自分にとっての掘り出し物を見つけてきた。だいたい何百円単位から千円台の物である。四十年前に永年勤続の表彰にいただいた金杯や東京で知人からいただいた版画額など、その品の裏に書かれている文字には、持っていた方の人生が刻み込まれたに違いないことをうかがわせてくれるものもある。

会計場所には、『お家一軒まるごと片づけます』と書かれた看板があるので、亡くなった方のお家を整理していて出てきた品に違いないと思う。しかし、こんな破格の値段でと思うと何か申し訳ない気持ちが湧いてくる一方で、得をした気分でほほ笑んでいる自分もいて、今日も掘り出し物が見つかったと喜んでいることも確かなのである。

あと十年生きて死んだ後に、自分の荷物が整理される時を想像すると、こんなどうしようもないものばっかり揃えて何をやっていたのかとお叱りを受けることになるかもしれない。それでも、また出かけてみたくなるのがこの中古屋さんなのである。

聖書のなかの一節に、『地上に宝を積んではならない。そこでは虫が食って損なったり、盗人が忍び込んで盗み出したりする。宝は天に積みなさい。そこでは虫が食って損なうこともなく、盗人が忍び込んで盗み出すこともない。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるのだ』(マタイ6:19-21)とあります。

天に宝を積むことも忘れてはいませんが、まだこの地上にも未練があって、その狭間にあって日々せめぎ合いをしている自分に、苦笑し乍らも生きている私です。

 

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