『「壊す作業」~教皇選挙から~』 司祭 アンドレア 松村 繁彦
1『教皇選挙』という映画を見た方も多いかもしれませんが、教皇レオ十四世の就任前に世間を騒がせたものでした。いろいろな意味で賛否を投げかけた映画でしたが、私自身は客観的に受け止め、現代のカトリック教会として学ぶ部分もあったものだと感じました。単なる娯楽で見るのではなく、私たち自身が課題を持って観ればカトリック教会の在り方そのものを問うには一つの教材としては良かったと思いました。
1もちろんすべてを容認しているわけではありませんが、多くの仲間たちに聞いたところ、同じシーンに感銘を受けたようでした。
1そのシーンとは、教皇選挙前の枢機卿会議の首席枢機卿による教話でした。既に映画を見た方も、まだ見ていない方も注意深く耳を傾けることが大切と思います。そのシーンを要約し、自分なりに解釈をすると次のような内容でした。
1首席枢機卿は次のような内容を教皇選挙前に集まった枢機卿全員に語りました。「教会は多様性を認めなければならないという立場を持ち、更に“確信”してはいけない。私たちは自身の正しさを不安に思うからこそ信仰が存在する。私は“疑念”を持ち続けるリーダーを求めたい」と説かれたのでした。
1これには2つの側面があるのではないでしょうか。それは【①選択する時の確信の怖さと疑念の大切さ】と【②選ばれたものの確信に溺れることなく疑念を持って臨む姿】と考えます。この事は私たち教会共同体そのものにも当てはまることと思います。どちらも同じことを言っています。選ぶ者と選ばれる者は、自分の確信に溺れることなく、自分自身に対して疑念を抱き歩む大切さです。確信は神であるイエス・キリスト御自身のみにあり、それを信じている私たちは神ではないので、常に自問自答し続ける大切さを忘れてはいけないという事です。信仰への確信を持っていると思っても、それは神全体のうちの一部でしかなく、私たち人間はいつも欠落状態にあり、常に外から新たなアイディア・新しさ・驚きが聖霊を通してやって来ることを肝に銘じておかなければならないのです。
1これらは臆病と言ってもいいのかもしれませんが、動けなくなる臆病とは違い、慎重になることです。大切なことは自尊心を打ち壊し、自信過剰を取り払い、自己完結を打ち破る「壊す作業」なのかもしれません。
1自分に当てはめ胸に手を置けば反省の点があります。だからこそ一つ一つ確認し、準備を怠らず、自分ではなく教会・聖霊がどのように語ってきたのかを慎重に見ていきたいと感じるわけです。確信は他者を退け戦争状態に入ることです。平和旬間に、そして聖母被昇天祭を前に、主の平和を築くためには「お言葉通り、この身に成りますように。」(ルカ1:38)と教会であるマリア様も確信ではなく、不安の中に委ねる姿、聞く耳を持つ姿が示されました。このようにマリア様へ神が恵みを与えて、神に返した言葉を私たちも実践できるよう、改めて教皇選挙の言葉を胸に刻みたいと思います。