『ともに信仰を歌うために』 司祭 マセオ 奇 浩培(き ほべ)
12024年6月10日。私にとって新たな挑戦が始まったその日から、早くも1年が経ちました。
まだ日本語が自然に口をついて出るほどではありませんが、喜んでミサにあずかってくださる信者の皆さまのおかげで、少しずつ自信を持ち、前に進んでいると感じています。とはいえ、日本語を自由に使いこなすには、まだまだ道のりは長いと実感しています。
1昨年7月から日本語学校での学びを始めました。ある程度の日常会話はできるつもりでしたが、クラス分けの試験結果は想像以上に厳しく、最も初歩的なクラスに配属されました。
今後、説教や日常の会話に不安を感じつつも、司教様や神父様方の支えにより、少しずつ日本語に慣れていくことができました。
1来日して4ヶ月ほど経った頃、札幌地区の使徒職大会で、侍者の子どもたちに簡単な指導を担当することになりました。当時の私は、限られた日本語の中で伝えられることを最大限に表現しようと努めましたが、今振り返ると、子どもたちが最後まで耳を傾けてくれたこと自体がありがたいほど、拙い説明だったように思います。それは私が日本に来て初めて準備した原稿であり、自分なりの決意を込めた講話でした。今日は、そのときの内容を少し整理して、皆さまと分かち合いたいと思います。
1主イエスが昇天された後、教会共同体が形成され、福音はユダヤ人だけでなく、異邦人にも広がっていきました。多様な共同体が生まれましたが、公に教会が認められるまでは、信者たちは信仰を守るために隠れて過ごさなければなりませんでした。それでも信仰の灯は決して消えることなく、教会が公認された後も、信仰はヨーロッパ全体、そして世界中へと広がっていきました。各国の言葉で神を賛美する時代になっても、私たちの信仰の中心は変わりませんでした。
1そうです。
地域が違っても、言葉が違っても、私たちの信仰は常に一つです。
1時代や地域、言語が異なっても、信仰者の祈りの願いは変わりません。彼らはただ神の愛を求め続けてきました。教会の始まりから今日まで、神の愛を生きる方法は時代によって変化したかもしれませんが、信仰の目的は常に同じでした。それが「神の愛」です。
1今日、私たちがこの場に共に集まっているのも、神への愛を歌うためです。
地域や言葉が異なっても、私たちは主において確かに一つの兄弟姉妹です。
1私は日本語が得意だったから日本に来たのではありません。
神が必要とされる場所に私を遣わされ、そして皆さまがその私を喜んで受け入れてくださったおかげで、少しずつ日本での生活に慣れてきました。では、私に残された課題とは何でしょうか。それは、皆さまと共にこの信仰を歌い続けることです。同じ信仰を分かち合うために日本語を学び、皆さまと同じ歌を歌うために練習し、同じリズムで歩むために努力することだと思っています。
1まだまだ未熟なところもありますが、皆さまと心を一つにするためには、皆さまの寛容さとご配慮が必要です。これまで多くのご配慮をいただいたおかげで、共にミサをささげることができていることに心から感謝申し上げます。これからの時の中でも、私もまたより美しく、より忠実な時を皆さまと共に過ごせるよう、誠実に歩んでまいります。