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主任司祭のメッセージ Message from parish priest

『先払い・後払い』        司祭 アンドレア 松村 繁彦

2022年11月02日|

一人のおじいちゃんが私に近寄って来て、嬉しそうにスマートフォンを操作して孫の写真を見せてくれた。生まれたばかりの孫の写真。可愛らしい赤ちゃん(サルみたいだったが)で、かけがえのない生命の誕生の神秘に、こちらもにこやかな顔になるのだが、それ以上に驚いたのは、スマートフォンを手際良く操作するおじいちゃんの姿だった。私の第一声は赤ちゃんの事よりもおじいちゃんに「すごい手つきで上手に使いこなしてますね~」と言うと、「娘たちとの会話や、孫の写真が見たい一心で必死に覚えたんですよ!」と笑顔で答えてくれた。少年のような顔。愛する娘の、さらに赤ちゃんの存在は、おじいちゃんにとって新しい生きる糧となった。「何を買ってあげようかなぁ~」と甘やかす気満々であった。「あまり入れ込みすぎませんように~」と一言。

おじいちゃんにとって、孫の写真はまさに福音であり、生きる力をいただく恵みである。

この一連の流れを現象からとらえると、宗教の仕組みと同じである。写真とおじいちゃんの間には、生きる意味や活力は具体的な出会いは無くても、伝わり一人の人を生かす力となりえる。そして、それにどう答えていこうか・・・。おじいちゃんにとって買い与えるものは、自分の心に沸き起こった衝動に対する感謝を示した浄財への行動である。

昨今話題になっているカルト教団や旧統一原理の動きはどうか。実はこの流れの逆である。強制的に恐怖をあおり、先に献金を要求し、それを支払うことでご利益を得るという先払い方式である。ただ、巧みなのは必ず“撒き餌”があるので、最初は後払いに見せかけて私たちの心を揺さぶるが、結果的に先払いを強要する仕組みである。

私たちの信仰は後払いのみである。神様から先に恵みがあり、喜びがあり、生きる意味を与えられる。それに対して私たちが祈りと奉仕を通して時には神に、時には周りの人々にお返しをしていく。難しい言い方をすると「神の恵みの先行性」と言い、必ず神の愛が先立つのである。そして、その喜びから財産を、または私たち心身をとおして「この恵みを少しでも多くの人に伝わるように、その団体を支える」ためにお返しをしていく。ここに物理的な蓄えはない。だから教会は貧乏ながらもぎりぎりのところで保っている。(本当はもう少し蓄えが欲しいところだが。)

このことからも、私たちはご利益信仰ではないことがわかる。複雑で巧みな手を使う怪しい宗教は、私たちの社会に蔓延しているが、「偽預言者に気をつけなさい」とイエスは語る。また「目を覚ましていなさい」とか「神の国はすでにある・・まだきていない」とも語る。緊張感をもってこの世を見なければ騙されてしまう。サタンが巧に近寄ってくるのである。「平和ボケ」していてはならず、いつも悩んだときに主に声をかけることが騙されない事であろう。聖書のイエスを知れば知るほど、イエスならばどのように回答するかが見えてくるはず。さぁ聖書を読もう!


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