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主任司祭のメッセージ Message from parish priest

『選び』        司祭 近藤 光彦

2019年09月02日|

聖書では、神が人に働きかける時に、“選び”があった。

それは、神が人に声をかけ、呼び出し、使命を託す事であった。

神の手となり、足となること、とも言えるか!

 

預言者イザヤ

イザヤは主の声を聞いた。”誰がわたしの為に行くか。この民に語れ。悔い改めて癒されよ”

イザヤは答えた。”わたしが行きます”

時に、民は霊的に乱れ、国は生死の瀬戸際の時のことであった。

 

聖母マリア

み使いガブリエルがマリアに遣わされた。”生まれる子をイエスと名付けよ”

神と人との間を取り持つためにイエスの母となり、そのイエスを眼前で失うという、この上ない悲哀を身に受けた聖母!それ故に、美しい音楽、画題を後世に残した、と人は言う。

時に、新約時代の幕開けの時のことであった。

 

思うに、今の我々にもあるか・・?

信仰者として生きていること自体が、神の指、手、足か。

そこに神、イエス、教会が現れている!信仰者が霊的に死んだら、神、イエス、教会も見えなくなってしまう。


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