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主任司祭のメッセージ Message from parish priest

『 「よいこと」探し 』          司祭 ペトロ 千葉 充

2026年01月05日|

子供のころは、冬の雪遊びが楽しく、普段は上れない屋根にあがって雪山に飛び込んでみたり、かまくらを作って秘密基地にしたり、季節を楽しむことが多かったものですが、大人になると大雪を心配したり、足元が滑って転ばないように気を使ったり、寒くて出掛けるのが億劫になったり…冬は楽しむものではなくなってしまったようです。

以前テレビを見ていたとき、冬に嬉しいことは何か、「お鍋が美味しい」、「布団に潜ってぬくぬくする」、「冬の澄み切った青空」などなど、聞いているだけでワクワクするような、冬の嬉しい光景が浮かび上がってきました。北国の冬の厳しさの中にも、何かよいことが隠されているのでしょう。

 

「人は世界(現実)と関わり、それをもって神と関わる」

ある本で読んだ言葉です。人間は通常、わたしと世界(現実)の二項関係で生きています。しかし、この二項関係の世界観では、人間の主観だけで善し悪しが決められた世界が広がっているかもしれません。

世界と人間の二項関係のなかだけで留まらず、より完全な何かを求めることによって、神と世界と人間という三項関係へ、新しい世界観へと広がっていきます。神は世界を通してわたしたちに語りかけ、働きかけているのです。

 

聖イグナチオ・ロヨラの言葉に、次のようなものがあります。

「人間が造られたのは、主なる神を賛美し、敬い、仕えるためであり、こうする事 によって、自分の霊魂を救うためである。又、地上の他のものが造られたのは、 人間のためであり、人間が造られた目的を達成する上で、人間に助けとなるため である。従って人間は、そのものが自分の目的に助けとなる限り、それを使用すべきであり、妨げとなる限り、それから離れるべきである。」(霊操)

神学生の時に与った黙想会で、指導してくれた神父様が教えてくれた言葉です。わたしたちが希望し、目指すものは神です。そして、わたしたちは世界(現実)にあるものから、目指すべき神への道に役立つ、よいことを選び取ることができます。ここに、人間の自由があるのでしょう。

 

わたしたちは、世界(現実)の中から神に向かって歩み続けます。この歩みとは、特別なことを為すのではなく「日常生活における現世的務めを正しく果たし」(AA4)、普段の生活を通してキリストとの生きた一致によって為されるのです。こうして、日々の生活は、よいことを見出すことができる喜びの日常となるのでしょう。

 

昨年一年間、わたしたちは「希望の巡礼者」として、聖年の時を過ごしました。この神への希望の歩みは、聖年だけに限られたものではありません。

 

2026年が明けました。新しい年、ついえることのない神への希望によって歩まれますように。日々の生活のなかに隠されている、「よいこと」を、いっぱい見出すことができますように!


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