ロゴ

主任司祭のメッセージ Message from parish priest

『関わりの霊性』      司祭 ペトロ 千葉 充

2024年05月02日|

3月20日、カテドラルに入りきれないほどの多くの方達に見守られ、司祭叙階のお恵みを受けることができました。式が始まる直前、聖堂の後ろから大勢の参列者を見たとき、「これは大変なことになったぞ…」と思う反面、挨拶を交わす皆さんがニコニコ、ニコニコと嬉しそうな笑顔を向けてくれて、そのお顔と対面するだけで、こちらも嬉しいという思いが湧いてきました。

これまでの歩みにおいて、多くの皆様にお祈りいただき、本当にありがとうございました。

2018年に神学院入学、その翌年には教皇様訪日ミサの機会に神学生として参列させていただき、「自分たちはラッキーな年回りだ」と浮れていたのも束の間。2020年に始まったコロナウィルスのパンデミックによって、神学院も様々な活動が制限されるようになりました。行事は全て中止となり、司牧実習もなくなり、毎日々々、マスクをした神学生が声を抑えて沈黙の食事、授業もオンラインでの受講となりました。社会全般がそうであったように、共同生活を送る神学院でも慎重に対策が図られることになりました。神学院養成者の神父様達は食事の手配や、オンライン授業での整備に、本当にご苦労されていました。その様な中でも神学生達は、いつかこの混乱が終息したら神学院にも、そして教会にも、再び出会いの季節が巡ってくるからと、知的、人間的、そして霊的な養成に、各々向き合っていたと思います。

神学院時代の半分以上がコロナ禍にあり、外に向っての宣教・司牧的側面での養成のチャンスが少なくなったぶん、院内での神学生同士の関りを通して体験し、学ぶ機会が豊富になったと思います。その関りは人間同士のものですから、同じ釜の飯を食ったと言えるような親しい仲もあれば、そうならない仲もありました。また、信仰の面においては、それぞれが固有の神との向き合い方があり、それが本人の信仰生活、召命の歩みにとってとても大切なものですから、互いの違いによる意見のぶつかり合いが起こります。祈りの時においても、声が大きい小さいとか、言葉のペースが早い遅いとか、そんな小さなことまで、毎日向き合っていると気になってくるものです。しかし、見方を換えると、神学生達はそれだけ祈りの時間を大切にしているのだとも受け取ることができるでしょう。必要なことは、自分が、そして相手が、どのように神様に向っているのかということに目を向け、尊重することなのだと思います。もちろん、度が過ぎている場合には注意することもありますが、「ダメ!ダメ!」ばかりの駄目だしではなく、「あなたの主はどこにおられますか?」という、気付きを与える問い掛けの方が、効果があったように思います。

私たち人間には、熱心なあまり「共に歩む」という姿勢が置き去りにされる可能性があるのかもしれません。そのために、教会という共同体が必要ではないでしょうか。誰でも、個人的な信仰で、自分一人だけで天国に行きたいでしょうか?神の国が、完全な愛の世界であるとするなら、自分一人でどのようにこの愛を完成させるでしょうか?教会においては、人々を画一的にまとめてしまうのではなく、それぞれの個を尊重しながら「一」となって上昇していく、そんな不思議な力がはたらくのだと思います。

別々でありながら一つであるという、人間だけでは造り得ない共同体の在り方も、聖霊の愛の交わりによって成し得るのでしょう。だからこそ、教会共同体の関わりの中で聖霊のはたらきが豊かであるように、正しい信仰、確かな希望、そして完全な愛を、一時のムーブメントとしてではなく、日々探求しながら少しずつ歩んでいくことが求められていると思います。

神との関わりと人間同士の関わり、この交わりの中に全ての人を迎え入れることによって、「聖・一・公」である教会が、地上にあって真の輝きを放ちます。そして、神と人との関わりに生きることこそ、教会に属する私たちの霊性なのではないでしょうか。

教会は現代社会にあって「関わり」を見つめ直す時代を迎えているのではないでしょうか。これから始まる司祭職の中で、「関わりの霊性」というものを祈りの内に深め、生活を通してこの霊性を生きて行きたいと思います。


司祭メッセージ一覧へ


ページトップ
MENU