『病者訪問から学ぶ』 司祭 アンドレア 松村繁彦
11993年に当時のヨハネ・パウロ二世教皇によって「世界病者の日」が「ルルドの聖母の記念日(2月11日)」に設定され、その後日本の司教協議会によって日本でもその精神を広めることが決定されました。これは病者がふさわしい援助を受けられるように、また苦しんでいる人が自らの苦しみの意味を受け止めていくための必要な援助を得られるように、カトリックの医療関係者だけでなく、広く社会一般に訴えていくことを目的とされていると同時に、私たち自身も考え、学ぶ時でもあります。今月の巻頭言は大阪時代に学び、体験し、培った、カテケージスでは聞かない司牧的な視点として、そして信徒の立場としてどのように関わるかを後述したいと思います。
1昨今、司祭が直接病者や高齢者の下に赴くことができないケースが増え、また信徒の使命として秘跡以外のことは司祭よりも信徒が行うということが勧められています。家族や友人、近所の人々への奉仕は、信徒の力が今こそ必要となっています。一人一人が教会から派遣されていることを心に留め、学び、歩んでいただければと願うばかりです。
【病者訪問の役割とは】
11)〔霊的拝領〕 必ずしも聖体が伴わなくとも、霊的教会的サポートとして関わる事も大切な一面。
12)〔霊的一致〕 教会共同体から病気によって離れた人を繋ぎとめること(信仰面、共同体的側面、社会の一員として)。孤独は愛の欠如。愛を注ぐ一つとして顔を出し、見せ、語り掛ける。これらは大きな励ましとなり、洗礼によって教会メンバーの一員であることを思い起こさせる。
13)〔霊的介護〕 教会活動としての高齢者・病者サポートは、時には福祉的側面も必要となる。楽しい話をしたり、ともに時間を過ごしたり、必ずしも信仰と直結しなくとも、心の深い交わり、家族を超えた友との絆、各種相談なども大切な働き。魂の慰めとなる。
1※病者・高齢者サポートの時、私は『バリデーション手法』を参考に対応していますので、ここに紹介します。
1〇バリデーション(14の手法)(認知症治療の一つの手法)
111.センタリング(訪問者の精神の集中)
112.事実に基づいた言葉を使う
113.本人の言うことを繰り返す
114.極端な表現を使う
115.反対のことを想像する
116.過去に一緒に戻る
117.真心こめてアイコンタクトする
118.あいまいな表現を時には使う
119.はっきりとした低い優しい声で話す
1110.相手の動きや感情に合わす
1111.満たされていない欲求に目を向ける
1112.相手の好きな感覚を用いる
1113.ふれる
1114.音楽を使う
14)〔霊的看護〕 医者ではないので治療は行えないが、その人の痛みや苦しみへ信者として理解し共感し、ともに泣きともに笑い、寄り添いながら励まし、希望を持たせ、イエスのように体に触れ、互いの体温を通して会話する。
1※ 4つの痛みの理解をすること(解決ではない)が欠かせません。
11① 肉体的痛み(通常の身体の痛みや日常生活の支障。)
11② 精神的痛み(不安や恐怖、怒り、鬱などこころの痛み。)
11③ 社会的痛み(病気のために仕事を失い経済的に苦しくなったり、 社会や友人と縁が切れたりすることによる痛み。)
11④ 魂の痛み(スピリチュアル・ペイン)(精神的痛みよりも深いところから来る、人生の意味の問い、死生観に対する悩み等。)
15)〔家族に寄り添う〕 時には葬儀の相談、納骨の相談など先のことも家族から相談されることがある。不安な家族を支えるのも、病者訪問に行く者にとっては大切な勤めになる場合がある。病者・高齢者本人だけではなく、訪問は家族の心配も取り除くために教会の役割である。
1※ 注意
11① 聖体を伴う病者訪問に関わる方にとって、聖体は手土産的であってはいけません。
11② 病者訪問には聖体奉仕する事(聖体の秘跡)と、病者に寄添う事(病者の塗油)の別々の側面が内在しています。
11③ どちらか一方でも構わないが、「一致(聖体)」「慰め(塗油)」のそれぞれの役目・使命を大切にすることが大事です。
これらの事を念頭に置きながら、このコロナ禍だからこそ、それぞれの置かれた場で考えること、関わることが大切と思います。是非一度考えてみてください。