『冬の準備』 司祭 マセオ 奇 浩培(き ほべ)
1今では少なくなりましたが、昔の韓国では「冬の準備」といえば、冬の間に食べるキムチを家族全員で漬けることでした。私は特に漬けたばかりのキムチが好きでしたので、キムチ作りの日が一番楽しかったのです。寒さよりも、目の前のキムチのほうが大事でした。だから、私にとって冬はキムチを漬けながら迎える特別な季節でした。
1日本での生活も、もう二度目の冬を迎えることになり、ふと家族と一緒にキムチを漬けた思い出が浮かびます。みんなで力を合わせて過ごした時間がなぜそんなに残っているのかと考えると、年齢を重ねるにつれて家族が集まる機会がだんだん少なくなったからかもしれません。会話の時間も減り、それぞれの生活に忙しくなったからでしょう。
1思い返してみると、一部の信者の信仰生活もこれに似ているのではないかと思います。最初は一生懸命神さまの道を歩んでいても、忙しい仕事や体調の変化のために、以前のように続けることが難しくなる時があります。札幌の冬が深まるにつれて歩みが重くなるように、私たちの体も心も、信仰の道で足どりが遅くなることがあるのです。では、どうすればよいのでしょうか。
1私はそれが「認めること」から始まると思います。認めることは、理解することから生まれます。寒さそのものは変えられませんし、忙しさも思いどおりになりません。2015年にはできたことが、2025年には難しいこともあるでしょう。ですから、変えられないことに不満を抱くのではなく、今の自分にできることを探していくのです。外の変化を受け入れ、その中で内側の変化を始めることこそ「認める」ということです。
1冬になれば風邪をひきやすくなるのも、教会へ行くのが大変になるのも、すべて自然なことです。しかし、足が止まったとしても、信仰まで止まる必要はありません。むしろ冬ならではの信仰の歩みを探してみませんか。
1「冬を準備する」という言葉は、寒さを乗り越える努力のように聞こえるかもしれません。でも冬には冬の生活があるように、乗り越えるのではなく、冬と共に歩む信仰生活を見つけていきましょう。私ももうキムチを漬けて冬を迎えることはできませんが、その思い出を胸に、新しい喜びをつくっていきたいと思います。皆さんも、今度の冬がうれしい思い出、そして喜びの信仰生活として残りますように。