『主の祈りを祈る』 司祭 ミカエル 森田 健児
1主の祈りを毎日祈ることは私たちにとって意味があります。
「天におられる私たちに父よ」。日々の生活の中で神を思い起こすことは大切です。そしてこの方が私たちの父であることを思い起こすことは、私たちを支えてくれる大事なことです。
「み名が聖とされますように」。神が知られ、信じられ、愛されることは私たちの願いの中でとても大切なことであることを教えられます。このように祈り、努めることによって私たちは祝福を受けるでしょう。
「み国が来ますように」。愛と赦しの国、慈しみと思いやりの国、そのようなみ国が来ることは、私たちにとっても幸いなことです。神のために求めることはすべて私たちにとっても幸いなものとなります。
「み心が行われますように」。神のみ心についてはこのようにも祈れないでしょうか。私たち一人ひとりの幸せと平和を熱く願っておられる神のみ心が行われ、実現しますように。私たちの幸いのために多くの愛を与えたいと願っておられる神のみ心が、み心のままに行われますように。
「私たちの日ごとの糧をお与えください」。私たちに、貧しい人々に、またガザやウクライナも含め全世界の苦しむ人々に糧をお与えください。「私たち」という言葉を、私たちの願いによっていくらでも広げられます。また糧だけでなく、衣服や住む場所も、そして医療不足で亡くなってしまう人々に医療を、難民や移住者に生活と人々の暖かさを、戦争や内乱に苦しむ人々に平和を、人権を侵されているすべての人に神の守りと助けをお与えください。「糧」を願う中に、人々の「生」のためのすべての必要なものを願いたい。
「私たちの罪をお許しください。私たちも人を赦します」。赦すことを日々思い起こすことは大切なことです。私たちはこれによって人間関係においてずいぶん救われているのではないでしょうか。また私たちも自身が罪の赦しを必要とする罪人だと思い起こすことは、私たちが人を赦そうとするときに助けとなります。
1また私の罪だけでなく「私たちの」罪を、信仰の兄弟姉妹たちの罪も赦されますように。みなが罪に苦しんでいますから。また全世界の罪を赦してください。煉獄で苦しむ人々の罪をお赦しください。
「私たちを誘惑に陥らせず、悪からお救いください」。私だけでなく「私たちを」悪からお救いください。誘惑や弱さにみな苦しんでいます。また悪の存在を知らない人々が、罪や悪と戦うことなく、油断して滅びの道を歩み、世界が醜くなってしまいます。どうぞ私たち皆をお救いください。
1主の祈りの前半は神のために祈ります。そのようにして「神を愛する」という第一の掟を実行しているのではないでしょうか。また後半で「わたしたち」のために祈ることによって、「隣人を自分のように愛する」という第二の掟を行うことにもなるのではないでしょうか。