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主任司祭のメッセージ Message from parish priest

『復興と復活』         司祭 アンドレア 松村 繁彦

2025年04月04日|

主の復活に向けて喜びを申し上げます。皆さんに多くの祝福がありますように。

 

私が人生で始めてカンボジアのプノンペンに赴き街を散策していた時、道端で一人の少女がブラシのようなもので髪をとかしていました。その手に持っているのはなんと歯ブラシ。彼女は歯ブラシが何に使われる物かを知らずに使っていました。何故でしょう。1970年以降の特にポル・ポト政権時代に200万人の大量虐殺が起こり、宣教師をはじめ、共産主義をよく思わない人々、多くの年配者や知識人などが殺されました。実はその少女の両親も祖父母も皆殺され、その後他の家族に拾われ、ごみの中から金属を拾い家主に渡すことで生活が保障されていた子供でした。そのため誰からも知識的なことを教えてくれる人がいない中での生活でしたので、歯ブラシが何に使われるのかも教えてもらっておらず、小型(子供用)ヘアーブラシと思って使っていたのでした。

この衝撃的な出会いから、復興とは単なる形を戻す作業ではなく、人の養成、知識の分かち合い、心の回復も要求されるものであることを学びました。

内戦で壊されたアンコール・ワットの西参道では、向かって左側を日本、右側はフランスが修復を行いました。フランスの修復は、きれいにバリアフリーの様に石畳が揃い、誰もが歩きやすいきれいな道となっていましたが、日本の修復は凸凹の状態での完成でした。(上智大学の石澤良昭教授が指導)それは単なる修復ではなく前保存を前提として、伝統と文化まで遡っての元通りにすることを目的としたからでした。そしてその過程を日本人の後継者ではなく、クメール人(カンボジア人)に指導し、自らの力で回復を行える養成をしたのでした。

わたしたちは壊された物や心と体の復興を願い、それに向けて取り組んでいきます。しかしその復興は見える形にとどまってしまっていないでしょうか。本来持っていた知識、技能、精神、魂に至るまで取り返す必要があります。

旧約時代に神から与えられた大切な賜物が、不信仰によって崩されていきました。以前のモーセの時代の体制にまで戻せば、それは取り返せるのでしょうか。多くの預言者は、形ではなくその受け入れる心、魂にまで復興しなければならないと願いました。これは復興ではなく復活を願うということではないでしょうか。イエスはその身をもって自らのからだの復興ではなく、神の望む世界を受け入れる心と魂を人々のために取り戻し、示した。これが復活という出来事なのでしょう。つまりイエスは神の世界を人類に取り戻させたという事です。形ばかりの復興では、偽善者たちの様に見た目の復興にこだわっていくのです。『盃の内側を綺麗にせよ(マタイ23:26)』私たちは、その心を取り戻すために何が求められているのかを正確に読み取る必要があります。何が外側で何が内側なのか。思い込みではなく、誰かから伝えられたものでもなく、使徒の伝承から核心に触れていく事ができればと思います。その為には一人一人に聖霊が注ぎ、賜物を受け入れることが必要です。見えないものの中の方が、より重要なことが隠されています。心の目を開いてくださるよう祈り、新しく知る喜び、出会う喜び、気づく喜びを与えていただけるよう願い求めましょう。


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