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主任司祭のメッセージ Message from parish priest

『希望の旅』       司祭 ペトロ 千葉 充

2025年01月14日|

2025年、あけましておめでとうございます。新しい年、そして25年ごとに祝われる聖年を迎え、聖なる三位の祝福が皆様の上に豊かにありますように、お祈り致します。

 

この聖なる年を迎えた私たちを、教皇様は「希望の巡礼者」(教皇フランシスコ大勅書)として招いておられます。聖年という年は、「巡礼」という言葉で特徴づけられるでしょう。ローマをはじめ、アシジやいくつもの教皇バジリカ、そして世界中の教区で指定したあらゆる巡礼所を訪問することによって、私たちは「希望の巡礼者」となります。また、出掛けることのできない方達には、自宅やご自分が置かれた場において、主の祈りと信仰宣言、また聖年を祝う教会に心を合わせて他の祈りを唱えることによって、教会が一つになってこの聖年を祝い、全ての信者が希望の巡礼をともにすることができるでしょう。

 

今月、教会は「主の公現」をお祝いします。今年は1月5日が御公現の祭日にあたります。多くの教会では、待降節から馬小屋が準備され、はじめは遠くに置かれていた三人の博士が、クリスマスに向けて少しずつ馬小屋に近づき、ようやく御公現の日に博士たちの像は飼葉桶に眠る幼子の前に到着したことでしょう。

東方からやって来た三人の博士たちは、時代とともにメルキオル、バルタザル、カスパルと呼ばれるようになり、老人・壮年・青年、そしてヨーロッパ人・アジア人・アフリカ人であったと言い伝えられるようになります。それは、この三人の博士を通して、全ての世代、全ての民族をあらわすものなのでしょう。ですから、御公現の三人の博士の物語は、決して彼らだけのものではなく、全ての時代の、全ての民族にとって大きな出来事として受け留めることが出来るのではないでしょうか。

彼ら三人は、星に導かれて巡礼の旅に出たました。占星術師であった彼らは、星の輝きのなかに、神様の導きを見い出します。そして、彼らは一人で旅をしたのではありません。共に旅する仲間がいたのです。彼らは途中、ヘロデ王のところに立ち寄るなど、紆余曲折ありながら、ようやく母マリアの腕に抱かれた幼子を目にします。彼らの喜びは最高潮に達したことでしょう。そして、イエス様と対面の後、彼らは別の道を通ってそれぞれの国、もと居た生活の場へと帰っていきます。同じ道ではない、新たな道を通っていくのです。

 

この御公現の物語を聞くと、巡礼とはこのようなものなのだと気付かされます。旅に出る前と戻って来た後と、何も変わらない同じ生活であるはずのに、まったく新たにされるのです。

巡礼の旅に出る前、人は様々な思いを巡らし、期待という予感が起こるでしょう。それは、まだ見ぬ先の希望を抱いているのです。やがて、旅の果てにこの希望は体感され、その人の中に確かなものとして留まります。そして帰路の後、体感された希望はその人にとって錨となって、人生の様々な困難をも乗り越える力となるのではないでしょうか。それは、この「希望の錨」に繋がれているからこそ、それまでと同じ生活のなかで新しい視座を得て、信頼するものに委ねて生きることができるからです。

巡礼の旅とは、単なる旅行ではありません。美味しいものを食べて、美しい風景を見て、お土産を買って、荷物いっぱい帰ってくる旅行とは違います。もちろん、旅先での喜びは私たちの心の大きな糧となりますが。それ以上に、巡礼とは三人の博士が星を頼りに辿ったように、私たちを導く光が何であるかを「識別」し、途中で迷いや戸惑いが襲っても光を信じ続けて「忍耐」し、その光の照らしを「分かち合う」人が共にいて、こうして自分を導く神との出会いを体感させる旅なのです。

 

今年、聖年の巡礼旅行を計画されている方も、また特別に予定の無い方にも、「識別」「忍耐」「分かち合い」という、心の巡礼は全ての人が、それぞれの生活のなかで行うことができる巡礼の旅となるでしょう。

2025年、聖なる年が明けました。私たちの日常生活における「希望の旅」へと、皆さんと一緒に出発致しましょう。


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