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主任司祭のメッセージ Message from parish priest

平和を考える『見よ、それはきわめてよかった』   司祭 アンドレア 松村 繁彦

2024年12月02日|

日本カトリック司教団による書籍『見よ、それはきわめてよかった』(カトリック中央協議会)が今年の7月4日に発行されました。教皇フランシスコの回勅『ラウダート・シ』を主としてその他の回勅や使徒的書簡、ならびに2019年のフランシスコ教皇日本訪問のテーマである「すべてのいのちを守るため」の精神を受け継ぐ日本全体の課題として、今回日本の司教団が私たちに提示したものです。信仰を生きる中で創造主を讃えるための大切な視点で、神から与えられた人類の使命でもあり、アシジのフランシスコの精神を受け継ぐものでもあります。司教団は2017年に以前発行された「いのちへのまなざし」を改訂し、また一歩進めて発言されています。この書籍は倫理を「人間の生命」の視点で捉えた日本カトリック教会に対する教えであって。今回は同じ倫理を「地球環境」の視点で論じています。単なる環境(エコ活動)問題ではなく、それを信仰とキリスト教倫理の中で捉え、総合的な環境倫理(インテグラル・エコロジー)として伝えようとするものとして私は受け取りました。

さて、被造界の全ての事を把握できていない私たちに、神の悲しみや隣人の悲しみを喜びに変える為には「観る事」「識別する事」「行動する事」の3段階で進むよう呼びかけています。今回は書籍の内容に入る前に、この3段階について観てみましょう。内容については書籍を購入して是非読んでほしいと思います。少し難しいですが。

 

「観る事」とは単に“見る”こととは違うでしょう。“見る”とは目に入るという現象を指していることが強く印象付けられますが、“観る”とは自ら受け取りに行く行為に近いのではないでしょうか。つまり「意識する」という事なのです。実際にそうしないと記憶にまでは残らないでしょう。目で見るだけではなく頭に取り入れることが大切で、それを課題として捉えるのか、見過ごしていいものなのか、考えることを放棄しないことを呼びかけています。

「識別する」とは神の思いを私たちの考えと同じテーブルの上にのせて選択していく事でしょう。人間の考えは民主的・合理的・打算的、はたまた慣習・制度、結果自分に都合の良い方向を選びがちであり、どうしても社会経済や限りある能力の範疇で判断してしまいますが、全能の神の思いの視点なしに私たちは判断してはならないのが「教会」の歩みなのです。イエスも弟子も「聖霊による促し」「聖霊による識別」を求めて歩んでいたことを思い起こしたいと思います。イエスならどのように考え・応えるか。聖霊の導きを願うのです。

「行動する」とは、すべてのいのちと共に生きるという継続性と、そのいのちに対して責任を取るということを示しているように思えます。単なるボランティアではなく、そこには修道性(ベネディクト)の中に見る“Ora et Labora(祈り・働け)”が常に両輪となっていることから、動くこと無しに祈りの完成は無いという事でしょう。そして一つ一つに自分も責任を持って歩むという事です。だからこそよく祈り、よく考え、良く動けるのです。

 

全ての被造物は固体だけではありません。川や海といった液体、空気や大気といった気体も含めて、いのちに必要なものすべてを神からの賜物として、私たちも大切にし(愛し)責任をもって関わっていくことが求められます。しかし利便性の為にそのいのちを殺していることに気づいていません。今一度、今の世の中を眺めながら、環境倫理として、私たちの生命倫理と同じように向き合っていく事を考えてまいりましょう。

これらはイエスが生まれてきて伝えたかったことの一つであることは間違いありません。是非、クリスマスに向けて回心と黙想の中で、被造物から与えられている恵みを、感謝をもって抱きしめることができるよう、ともに励んでまいりましょう。


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