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主任司祭のメッセージ Message from parish priest

『ある教会の献金箱』     司祭 加藤 鐵男

2022年01月05日|

私が主任を務める教会でベトナム人のためのミサを行うようになって一年が過ぎました。彼らもすっかりこの教会に馴染んで、毎日曜日には必ず少人数であっても祈りの会が開かれています。また主日のミサに、数人は参列しています。

この教会には、献金箱は設置されていません。ところが、最近5、6件も続いて一階や二階のミサ参列者名簿を書くための鉛筆などの入れてある小箱に、五百円玉や千円札が入っていることが確認されています。信徒がそれを見つけては私のところに届けてくれています。献金として受け入れていますが、不思議です。

ベトナム人たちが、休みの平日などに聖堂訪問をしたついでに、献金箱が見当たらないので、目についた箱の中に入れていくのではないかと思っています。でも、わたしに疑念が湧きました。誰もが目に留まる、蓋もないような箱にお金を入れていって、盗まれはしないかと考えないのだろうか、ということです。だが、そんなことは考えもせず、自分の入れたお金は献金として教会に入ることを疑わないのだろうと思います。

イエスの衣の裾にでも触れれば自分の病気が癒されると信じた「長血患いの女」や、「僕の病気が癒される」ことを願ってイエスの許にきた百人隊長のような「あなたの信仰があなたを救った」とイエスに言わせた信仰が、ベトナム人たち一人ひとりには備わっているのかもしれないと思うのです。疑うことをせず、自分たちの信じていることと真っすぐに向き合い、それを実践しようとしている彼らの中に育まれた信仰はなんとすばらしいのでしょう。かくて、この教会はそこいら中に献金箱だらけです。

ペトロは言います。

「何よりもまず、互いに心から愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです」(一ペトロ4章8節)

キリスト教が日本に伝えられて間もない頃、日本人向けに訳された教理問答には、この「愛する」という言葉を「御大切に」と訳されています。自分の愛するかけがえのない人々は、それぞれに大切な人たちなのです。それは、男女、年齢、国籍に関係なく、それぞれが、大切な人たちなのです。主よ、この信仰を多くの人に、まだ、あなたを知らない人たちにも育ませてください。


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