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主任司祭のメッセージ Message from parish priest

『目には目を、歯には歯を』    司祭 加藤 鐡男

2019年07月01日|

このタイトルの聖句は、私たちには馴染みの言葉です。害を与えられたらそれに相応する報復をすることのたとえとして用いられます。今から約4300年まえにできたハムラビ法典にも、旧約聖書の出エジプト記(出21章24節)、マタイ5章38節にも出てきます。

古代においては、村の誰かが他の村の人から怪我を負わされた場合に、村中のものが駆けつけて他の村の犯人を殺すようなことがまかり通っていました。それで報復を抑えるために、同等の体の部位でしたら赦される、という法律が出来上がったのです。ですから、片目をつぶされたらその犯人の同じ片目をつぶすということになっていきました。しかし文字通りになされたかどうかは定かではないようです。/やがて、体の同じ部位ではなくお金で解決するようになっていきました。現在の賠償金に当たるものでしょう。

しかし、イエスの考えは違いました。『あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい』(マタイ5章40節)と言いました。当時どんな貧しい人でも下着は二枚は持っていたようですが、上着は一枚しか持っていませんでした。パレスチナの砂漠では昼間は炎天下のもとで過ごし、夜間は冷え切った大地で過ごすことになり、上着は毛布にもなっていたわけですから、上着を取られるということは命の保証が得られないことを示していました。

したがって、『上着をも与えよ』というイエスの言葉は、その人が当然持っている権利をも放棄せよ、と迫っていることになります。キリスト者は、自分の権利をも放棄し、他の人々への奉仕に生きるようイエスは求めておられるのです。イエスが人々のあがないのために十字架に付けられたように、私たちにもそれを望んでおられるのです。御父の限りないあわれみと大きな愛に包まれて生かされていることを、忘れてはなりません。

今の世の中では、自分を中心にした考えで生きている人が多いように思えますが、他の人への思いやり、優しさ、寛容、柔和な姿勢で生きることを私たちキリスト者は心がけていきたいものです。私たちキリスト者が人々に希望を与える者となれますように、日々の生活の中で祈っていきたいものです。

 


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